地域ウェルビーイング把握の新機軸:客観指標と住民の声(主観データ)の統合分析
はじめに
近年、地域づくりの目標として「住民のウェルビーイング(well-being)」を掲げる自治体が増加しています。ウェルビーイングの向上を目指す政策を効果的に企画・評価するためには、現状を正確に把握するためのデータが不可欠です。このデータには、統計情報などから得られる客観的な指標と、住民アンケートや意見交換会から得られる主観的なデータの二種類があります。
客観的ウェルビーイング指標は、健康寿命、所得水準、教育達成度、犯罪率、緑地の面積など、社会経済状況や環境を数値で捉えるものです。これにより、地域の課題を定量的に特定し、政策効果を客観的に評価することが可能になります。一方、主観的ウェルビーイングデータは、住民の生活満足度、幸福感、地域への愛着など、個人の内面的な状態や認識を捉えるものです。これは、客観的な数値だけでは見えてこない住民の実感や多様なニーズを把握するために重要です。
これらの客観指標と主観データをそれぞれ単独で分析するだけでは、地域ウェルビーイングの全体像や、住民が抱える課題の根源を見誤る可能性があります。例えば、客観的に見て特定の健康指標が低い地域でも、住民の主観的な健康への満足度が高い場合もあれば、その逆もあり得ます。より深く地域を理解し、実効性の高い政策を立案するためには、客観的な視点と主観的な視点を組み合わせた「統合分析」が有効となります。
本稿では、自治体における客観的ウェルビーイング指標と主観的ウェルビーイングデータの統合分析の意義、具体的なアプローチ、そして政策への応用について解説します。
客観的ウェルビーイング指標の役割
客観的ウェルビーイング指標は、特定の地域や集団の状態を定量的に示すデータです。国勢調査、統計調査、各種行政データ、オープンデータなど、様々なソースから収集できます。
主な客観的ウェルビーイング領域と指標例:
- 健康: 平均寿命、健康寿命、特定健診受診率、病床数
- 教育: 進学率、識字率、学校数、教員充足率
- 所得・雇用: 一人あたり所得、失業率、最低賃金、生活保護受給率
- 安全: 犯罪発生率、交通事故件数、消防・救急体制
- 環境: 大気汚染物質濃度、ごみ排出量、公園面積、森林率
- 住居: 住宅面積、持ち家率、空き家率、耐震化率
- 社会参加: ボランティア活動参加率、自治会加入率、NPO法人数
これらの客観指標を分析することで、地域間の比較や経年変化を把握し、特定の地域や住民層が抱える客観的な課題を明確にすることができます。例えば、統計データから高齢者の単身世帯率が高い地域や、子育て世代の所得が低い地域などを特定し、具体的な支援策の必要性を示す根拠とすることが可能です。
主観的ウェルビーイングデータの役割
主観的ウェルビーイングデータは、住民一人ひとりの感覚や意識に関する情報です。アンケート調査、住民懇談会、意見交換会、パブリックコメント、ソーシャルメディア上の意見収集などが主な収集方法となります。
主な主観的ウェルビーイング領域とデータ例:
- 生活満足度: 現在の生活全般への満足度
- 幸福感: どの程度幸福だと感じているか
- 健康実感: 自身の健康状態への自己評価
- 人間関係: 家族や地域とのつながりへの満足度
- 地域への愛着: 自身の居住地域への誇りや帰属意識
- 行政サービスへの評価: 利用している公共サービスへの満足度
主観データは、客観指標だけでは捉えきれない住民の「生の声」や「感情」を反映します。なぜ特定の客観指標が低いのか、住民は現状をどう捉えているのか、どのような点に不満や不安を感じているのかといった、課題の背景や潜在的なニーズを把握する上で非常に重要です。例えば、緑地の面積(客観指標)が多くても、住民が「公園が少ない」「使える公園がない」と感じている(主観データ)場合、単に緑地を増やすだけでなく、利用しやすい公園整備が必要であるといった示唆が得られます。
客観指標と主観データの統合分析の意義
客観指標と主観データを統合して分析することで、以下のようなメリットが生まれます。
- 多角的な地域理解: 客観的な事実(状態)と主観的な認識(感覚)の両面から地域を捉え、より深く、立体的に理解することができます。
- 課題の深掘り: 客観指標で特定された課題の原因や背景を、住民の主観的な声を通して掘り下げることができます。なぜ失業率が高いのか、住民はどのような不安を感じているのか、といった質的な側面が明らかになります。
- 政策効果の検証: 政策実施後の変化を客観指標で定量的に測定するとともに、住民の満足度や意識がどのように変化したかを主観データで確認することで、政策の真の効果や住民への浸透度をより正確に評価できます。
- 説得力のある説明: 客観的な数値データは論理的な根拠となりますが、住民の具体的な声やエピソードを交えることで、政策の必要性や成果について、議会や住民に対してより共感を呼び、説得力のある説明を行うことが可能になります。
統合分析の具体的なアプローチ
客観指標と主観データを統合して分析するアプローチはいくつか考えられます。
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収集段階での連携:
- 同一対象者からのデータ収集: 同じ住民を対象に、客観的な質問(年齢、所得、健康状態など)を含むアンケートと、主観的な質問(生活満足度、幸福感、地域の課題認識など)を含むアンケートを実施します。これにより、特定の属性を持つ住民がどのように感じているか、といった分析が可能になります。
- 客観データに基づく対象者選定: 特定の客観指標(例:高齢単身世帯)が高い層を対象に、生活状況やニーズに関する主観データ(アンケート、ヒアリング)を収集します。
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分析段階での統合:
- 客観指標と主観データの関連分析: 統計的手法を用いて、特定の客観指標(例:所得)が主観的なウェルビーイング(例:生活満足度)にどのように影響しているかを分析します。地域別の客観指標の傾向と、地域住民の主観データの傾向を比較し、相関や差異を分析することもあります。
- 質的データ(主観)による量的データ(客観)の解釈: 客観指標で何らかの傾向や課題が示された場合に、過去に収集した住民からの自由記述意見やヒアリング記録などの主観データを参照し、その背景にある住民の感情や具体的な状況を理解します。
- 量的データ(客観)による質的データ(主観)の検証: 住民懇談会で特定の課題(例:地域コミュニティの希薄化)が繰り返し指摘された場合、その課題が客観的にも裏付けられるか(例:自治会加入率の低下、単身世帯の増加など)をデータで確認します。
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政策立案・評価への活用例:
- 課題設定: 客観指標で「高齢者の外出頻度の低さ」が明らかになり、かつ主観データで「近所付き合いの減少による孤独感」が多く語られている場合、単に交通手段を提供するだけでなく、地域交流の場づくりといった政策の必要性が示唆されます。
- 施策設計: 「子育て世帯の経済的負担」が客観指標で示され、主観データで「地域での子育て支援への不安」が大きいという結果が出た場合、経済的支援策と合わせて、気軽に相談できる地域の子育て支援拠点整備などが検討されます。
- 政策評価: 特定の健康増進政策を実施後、参加者の健康診断データ(客観)と、健康への自信や生活の質の変化に関するアンケート(主観)の両面から効果を測定します。
自治体における統合活用の課題と乗り越えるヒント
客観指標と主観データの統合活用にはいくつかの課題があります。
- データ形式の違い: 客観データは数値やカテゴリデータが中心ですが、主観データにはテキストや音声、映像なども含まれ、形式が大きく異なります。
- データ収集の手間とコスト: 特に大規模な住民アンケートや詳細なヒアリングは、時間も費用もかかります。
- 分析スキルの必要性: 異なる形式のデータを組み合わせて分析するには、統計的手法や質的データ分析の手法に関する知識・スキルが必要です。
- 部署間連携: 客観データは企画部門や統計部門、主観データは広聴部門や福祉部門など、異なる部署が保有・収集していることが多く、部署を跨いだ連携体制が必要です。
これらの課題を乗り越えるためには、以下のようなヒントがあります。
- 段階的なアプローチ: 最初から大規模な調査を行うのではなく、特定のテーマや対象地域に絞って小規模な調査・分析から始める。
- 既存データの活用: 既存の統計調査データや過去の住民アンケート結果、陳情・要望データなどを棚卸し、活用可能なデータを洗い出す。
- 外部機関との連携: 大学、シンクタンク、民間調査会社など、データ分析や調査設計に関する専門知識を持つ外部機関と連携する。
- 住民参加型のデータ収集: ワークショップ形式で住民から地域の課題やニーズを聞き出す、スマートフォンアプリを活用して住民の行動データや主観データを継続的に収集するなど、住民を巻き込む工夫をする。
- 部署横断プロジェクトチーム: 企画、広報、福祉、統計などの関連部署から担当者を集め、統合分析のプロジェクトチームを発足させる。
- 分析ツールの導入: 質的データ分析ツールや統計分析ソフトウェアの活用を検討する。
事例に見る統合活用のヒント
国内外の先進的な自治体や研究機関では、客観指標と主観データを組み合わせた分析が行われています。例えば、ある都市では、地域の経済指標(客観)と住民の仕事への満足度(主観)を分析し、特定の産業に従事する人々の主観的なウェルビーイングが低い傾向にあることを発見し、その原因を探るために詳細なヒアリング調査を実施しました。また別の事例では、犯罪発生率(客観)が高い地域の住民が抱える「治安への不安」(主観)の度合いを測定し、不安の要因を特定して防犯対策に活かしています。これらの事例は、客観データが「どこで」「何が起きているか」を示し、主観データが「なぜ」「どのように感じているか」を明らかにする、両者の補完関係を示唆しています。
まとめ
客観的ウェルビーイング指標と主観的ウェルビーイングデータの統合分析は、自治体が地域ウェルビーイングをより深く、多角的に理解し、効果的な政策を立案・評価するための強力なアプローチです。客観データが示す「事実」と、主観データが伝える「実感」を組み合わせることで、地域の真の課題や住民のニーズを捉え、根拠に基づいた、そして住民の共感を得やすい地域づくりを推進することができます。データ形式の違いや部署間連携などの課題はありますが、既存データの活用、段階的なアプローチ、外部連携、住民参加といった工夫により、その実現は可能です。客観と主観の視点を統合し、地域のウェルビーイング向上に向けた取り組みをさらに一歩進めていくことが期待されます。